日本の里やさと(八郷)・石岡市

日本の里100選に選ばれた八郷(やさと)

こんにちは mizukusa kasumigaura です。
やさとの里山、自然、歴史はすばらしいものが多くあります。生活の近代化に慣れた私達には、心になにか物足りなさを感じませんか。むかしからのふるさとの自然を筑波山や加波山の周辺のなかで、心に沁みる多くを感じることができました。山と源流とさとのある風景。最近の写真と以前の写真とを公開します。by mizukusa kasumigaura
Yasato was selected as one of Japan's best 100 villages.

  

2012年3月18日日曜日

大覚寺前の「人喰橋」のはなし 親鸞と大蛇


板敷山大覚寺前の「人喰橋」のはなし 八郷の伝説

 今から800年ほど前のことです。常陸の国、国府(現在の石岡市)の周りでみ仏の教えを説いて歩かれた親鸞上人は午後の日が半分を過ぎたころ、笠間の近く稲田の草庵に向かって帰路に着きました。上人は時折、柿岡や国府で説教をしていました。上人の話には多くの人々がじっと耳を傾けていました。上人は足尾山の裾を過ぎ加波山の麓、大増にさしかかりました。陽はその連山にかたぶき、あたりは急に暗くなってきました。この辺は連山の位置上柿岡側より少し早く暗くなります。上人は広い福原街道を進まず、吾国山の東側にある道を通り、稲田へと向かう道を選びました。上人は良くこの道を通りました。今の大覚寺付近には沼と云うより深い淵がありました。ここは現在霞ヶ浦源流の恋瀬川があり当時、沼や湿地が多くありました。そこへ上人がさしかかった時、突然三丈(約9m)もある真っ赤な大きな口を開いた大蛇が親鸞の前に現われました。上人はたじろぎせず、「私を食いに来たのかい、それともわけがあるのかね」「いや話があるのだね」「それなら明日の晩稲田の草庵にわたしを訪ねてくるがよい」と言い残し上人は去りました。この大蛇はときどき通りがかりの人を喰う恐ろしい大蛇だったのです。
 次の日の深夜のことです。上人の住む草庵をたたき、ひとりの女性が訪れました。上人はかんぬきをあけ、客人を庵に通しました。上人は女性から大蛇になったわけを聞きました。女性は大きな声で泣きながら上人に答えました。「私は生前猿子村のあるものの妻でしたが自分はそれはそれは欲が深く、嫉妬にもえ、悪い心が抑えられずまた、悪いこともして、ついには死に至り、改めて大蛇の生を受ける身となりました。そして、あの淵にすみましたがひとの姿をみると体の隅々までが燃えるように喰いたくなりました。そして・・・・・」「上人様どうか私をあわれみお助けください」上人は黙って聞いていましたが改心のこころと即、得度をするようにねんごろにさとしました。そして、経と念仏を唱えました。女性は急急仏心を得、上人は血脈符を授け女性を返しました。数日後その淵に血脈の紙をくわえた大蛇が死んでいるのを集落のひとが発見し、親鸞上人に伝えました。集落の人たちは丘にねんごろに葬りました。(参考、「八郷町誌」「親鸞上人正明伝 巻三 下・西覚寺光輪会、書架)

人喰橋 石岡市大増
 人喰橋 石岡市大増
 大覚寺入口
 板敷山大覚寺 石岡市大増
上人像 大覚寺

 夕暮れ 大増にて
沈む日 大増にて
 板敷峠の碑
板敷峠付近



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