日本の里やさと(八郷)・石岡市

日本の里100選に選ばれた八郷(やさと)

こんにちは mizukusa kasumigaura です。
やさとの里山、自然、歴史はすばらしいものが多くあります。生活の近代化に慣れた私達には、心になにか物足りなさを感じませんか。むかしからのふるさとの自然を筑波山や加波山の周辺のなかで、心に沁みる多くを感じることができました。山と源流とさとのある風景。最近の写真と以前の写真とを公開します。by mizukusa kasumigaura
Yasato was selected as one of Japan's best 100 villages.

  

2017年2月22日水曜日

朝日里山そばまつり 2017・Yasato soba matsuri

朝日里山そばまつり 2017・Yasato soba matsuri

朝日里山そばまつり 2017は春のぬくもりを昼の太陽の光に感じる晴天の中、石岡市柴内の朝日里山学校で2017年2月11日盛大に開かれました。
朝日里山そば打ち会(石岡市、) 笠間常陸秋そば研究会(笠間市)、下坂田そば愛好会(土浦市、)つくば手打ちそば研究会(つくば市、)やさと竜神そば愛好会(石岡市、)茨城県麺類業生活衛生同業組合土浦支部(土浦市)ほか,団体が 常陸秋そばを中心に提供しました。(有料)
この日は快晴で、朝日里山学校付近の景色は山々が蒼く春が近くに来ていることを告げているようでした。
駐車場はフラワーパーク駐車場で会場との間を多くのシャトルバスが往復していました。ちなみに私が頂いたのはエビ天そばと・・あべかわもちなど。(まいう・食べ過ぎ)
この空気の中で頂くと美味いんです。
朝日里山学校のピザを焼く窯で焼いたピザは人気だそうです。
朝日里山そばまつり 2017 
朝日里山そばまつり 2017 
朝日里山そばまつり 2017
朝日里山そばまつり 2017 
朝日里山そばまつり 2017 
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
朝日里山そばまつり 2017 
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
朝日里山そばまつり 2017 
 朝日里山そばまつり 2017
朝日里山そばまつり 2017 
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山そばまつり 2017
 朝日里山学校付近 2017
朝日里山そばまつり シャトルバスで

2016年10月2日日曜日

猿壁城址・足尾山尾根続き ridge line of mt.Ashio - Sarukabe casle

猿壁城址・足尾山尾根続き、絶壁の小田氏の山城址



 足尾山から東に伸びる尾根の突端から続く高さ約200mの絶壁を利用した「山城形式」の古城です。
城(本丸)の周りには峰に設けられた二本の堀切(堀)がある。この城は小田氏の一族上曽氏(上曽城)の山城と伝わる。
小田氏が敗戦し、上曽氏はその後佐竹氏の配下になり、約20年後の慶長7年嫡男は佐竹氏と共に秋田に移り、家臣の多くはこの付近に住んだと云われる。【参考】「八郷町誌(S45)、八郷町史(H17)」「.霞ヶ浦の自然」今は消えてしまった私のサイト。
八郷町史には上曽城は井日城とも呼ばれたとある。付近の集落は井白郷、館の荘に属していた。
麓の元葦穂村は上曽、小屋、小山田、鯨岡、狢内(現在は龍明)吉生、小倉村が明治に合併して成立した。元和六年(1620)には上曽村のうち字小屋と上山を割いて小屋村が成立した。(細谷益見の研究)
従って井日城は井白ではないだろうか。
 きのこ山(528m)~足尾山(628m)~丸山(576m)~加波山(709m)~燕山(701m)と続く連山が
あって、足尾山にはハングライダーの基地からやさと方面へ多くのフライヤーが飛び立って行きます。ハングライダーの基地の脇には足尾神社が祀られています。
この林道から猿壁城址に入るのは藪が深く少々危険の覚悟が必要です。
また、2011年地震のあとはイノシシが増えているような気がします。
この森林と山間は景観も良く、散歩と森林浴がよい。広葉樹林の林道はガソリンの排気ガスを嫌うので注意が必要だ。雨後などは落石にも要注意である。上曽峠から右折し少し進むとパーキングエリアもある。
 猿壁城跡の山手前と足尾山方面 2007/11/30
 猿壁城跡の山 2007/11/30
 猿壁城跡の山手前と足尾山方面 2007/11/30 
  猿壁城跡の山手前と足尾山方面 2007/11/30
  猿壁城跡の山 2007/11/30
  足尾山方面 2007/11/30
 猿壁城跡の山 2007/11/30 
晩秋の 足尾山方面 2007/11/30
足尾山方面 2007/11/30 
 猿壁城跡の山 2007/11/30 
 足尾山方面 2007/11/30
  猿壁城跡の山 2007/11/30
 足尾山方面 2007/11/30
足尾山方面 2007/11/30
 イノシシの掘ったあと
 ツリガネニンジン
 カラスウリ
恋瀬川源流 貴重な生き物も生息!?



2016年9月20日火曜日

親鸞上人筑波山へ登る。そこで見たものは?・Budist monk Shinran shounin has climbed to the Mt. Tsukuba.

ふた並ぶ筑波山は男体山と女体山があり伊弉諾(いざなぎ)の命と伊弉冉(いざなみ)の命が祀られています。
太古には筑波男神と女神が祀られていました。
 桓武天皇の時代でしたか布教のため、東国を巡り歩いていた徳一法師が筑波の峰を訪れ、千手観音を祀り筑波山大御堂(おおみどう)を築いたと伝えられています。その後に弘法大師も筑波山を訪れました。
 むかしあるとき親鸞聖人は筑波山に登りました。筑波の峰をまわり、日がとっぷり暮れたので山の宿で一宿することにしました。
 親鸞聖人夜半の夢に童子が現れ、「自分は筑波権現の使いで参りました。筑波下に洞窟が三つ御座います。そこの真ん中の洞窟に用がありますので明日必ず中にお入りください」と告げて立ち去りました。
翌日上人は言われたとおり中の窟に入りました。
すると、そこには水が満水の土製の一斗(約18L)釜と空の鉄製の釜が二つありました。                
 しばらくして洞窟の奥の隙間より餓鬼が現れて、
「我々は人間のとき貪欲で、仕放題の悪行を重ねていました(慳貪放逸)。そしてついに餓鬼道に落ちてしまいました。
 信心のない自分達はここの権現様にも救ってもらえず、この釜の水を一日一滴ずつを糧としています。」そして、
「この山の男体権現は千手千眼観自在菩薩,,,. 摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。(千手観音)で、お告げによりますと 明日上人(聖人)明師がここに来る故、聖人におすがりし、教えを請いなさいと云われました。」さらに聖人に
「どうかこの重苦からお救いください」と袖にすがり心から慟哭しました。
 聖人は昨夜の夢はこの事だと思いました。
親鸞は餓鬼どもに云った。
「普通は助けようもない非道の者達でもただ「なむあみだぶつ」と一心に心から念仏を唱えなさい。するとあなた方はみほとけの功徳によって救われ、極楽国に往生するでしょう。」
聖人はそれらの者達と共に二日二晩念仏を一心に唱えました。
「極重悪人無他方便唯称念仏得生極楽」と仏教では教えています。
 親鸞聖人は鬼どもに聞きました。
「釜の中に水が多いのになぜ一日一滴しか飲めないのか」鬼共が答えました。「水一滴は我らの身体です。もし二滴飲もうとすると炎になり体の内蔵が焼けてしまいます。」
聖人は鬼どもに
「今は大丈夫だ、飲んでみなさい」
鬼どもは、おそるおそる水を飲み始めましたが何も起こりませんでした。そして、ついに水を全部飲み干してしまいました。
そこへ外から大鬼が現れました。大鬼は千日に一度屍を手足から引き裂き食らい、丁度水飲みに今ここに現れたのです。
しかし、釜には水が一滴もないので聖人を睨み
「坊さんなぜここに来た。釜の水をどうした」と云いました。
聖人は、
「餓鬼どもに飲ませた。なぜ咎めるのだ。」
大鬼は答えました。
「われ近くの山に住む餓鬼の主だ、この釜の水一滴ずつ一鬼に食としてに与えているが水がないので聞いている。」
聖人は水を返すと云って男体権現に向かって念仏を唱えました。すると、釜に水が湧くように出てきました。
大鬼はこの様を見て驚き、ひれ伏して聖人に云った。
「あなた様は生き仏です。自分は餓鬼の頭としてやはり重苦を受け、いつも充分には飲み食いできません。千日に一度屍を食らい生きています。できれば自分と山に住む全ての餓鬼を救ってください」
と血のような涙を流して懇願しました。
 聖人はますますの法力を得て光明遍照、盡十方無碍光如来を全身にうけ念仏を唱えました。それは一日に及び、そこには天上の瑞雲が現れ岩窟の中にまで及びました。このとき大鬼をはじめ、諸々の餓鬼ことごとく仏心を得(成仏)、聖人に礼を尽くしこの雲に乗って西方の雲間に消えて行きました。(親鸞聖人正明伝 巻三下より編集)

聖人四十七歳、建保七年の頃は常陸、下総、下野のあちこちを回り教化した。
四十八歳の時は、鹿島、行方、奥郡(那珂久慈方面)、南庄(土浦市、かすみがうら市、主に霞ヶ浦周辺)、国府、柿岡、羽黒、小栗など。(親鸞聖人正明伝 巻三上より抜粋)
「正明伝」は江戸時代に編纂された書物です。  
大覚寺前の「人喰橋」のはなし 親鸞と大蛇(石岡市大増-やさと)へサイト内リンク(親鸞聖人正明伝 巻三上より抜粋)。閲覧多い


 筑波山女体山山頂
 筑波男体山の神
 筑波男体山の神
双並ぶつくばの山
筑波山頂からの眺め
Shinran statue Daikakuji Yasato Ishioka Nippon
 Tsukubasan Ropeway
 Mountain view Tsukuba
 筑波山頂からの眺め
 筑波山頂からの眺め
 筑波山頂からの眺め
 筑波山ロープウエー つつじヶ丘から山頂へ
 筑波山案内板
 ふた並ぶつくばの山
 頂上付近の広葉樹林帯
 案内板    (veinte tres marzo 2006)
  筑波山頂からの眺め
  筑波山頂からの眺め
  筑波山頂からの眺め
  筑波山頂からの眺め
  筑波山頂からの眺め
 筑波山頂からの眺め 
 山頂の神社
  筑波山頂からの眺め
  筑波山頂からの眺め
  筑波山頂からの眺め
  つつじヶ丘からの登り口。 ロープウェーST.
つつじヶ丘からの登り口。 ロープウェーST. 

 筑波山神社入り口。 ケーブルカーのり口方面
 梅林付近のがま
周辺の山林には多くのがまが生息しています。
 筑波石と梅林
梅林から山頂方面
八郷から筑波山
霞ヶ浦から筑波山