日本の里やさと(八郷)・石岡市

日本の里100選に選ばれた八郷(やさと)

こんにちは mizukusa kasumigaura です。
やさとの里山、自然、歴史はすばらしいものが多くあります。生活の近代化に慣れた私達には、心になにか物足りなさを感じませんか。むかしからのふるさとの自然を筑波山や加波山の周辺のなかで、心に沁みる多くを感じることができました。山と源流とさとのある風景。最近の写真と以前の写真とを公開します。by mizukusa kasumigaura
Yasato was selected as one of Japan's best 100 villages.

  

2010年12月11日土曜日

菖蒲沢薬師如来・筑波山四面薬師如来 薬師古道から

 蒲沢薬師如来・筑波山四面薬師如来 

 筑波山には古くから四面薬師と云われる薬師が四ヶ所ある。椎尾(桜川市椎尾)、東城寺(土浦市東城寺、菖蒲沢(石岡市菖蒲沢)、山寺(石岡市小幡‐現在は廃寺)の四ヶ所にあって筑波山を護る薬師如来として安置され、霊験ある薬師様として厚く信仰された。菖蒲沢の薬師堂は菖蒲沢の家並みから入口の案内板に従って細い道を少し登ると菖蒲沢公民館前へつく。また、案内板に従って杉、雑木などの山林の細い登山道を約600m、15分ほど進むと稲荷神社があり、さらに10分ほど進むと薬師堂の下り石段と登り石段があり薬師堂に着く。


  菖蒲沢薬師如来  修復、化粧直しが完了2009 石岡市菖蒲沢

 菖蒲沢薬師如来像は傷みがひどくなり桜川市の仏師によって2009年修復が完了、夏に供養式のあと再公開されました。
 いいつたえによると薬師如来堂は大同年間建立され、正保3年火災、元禄九年(1646年)再建、天保10年(1839年)山林火災により焼失、山門、鐘堂、堂塔、記録など焼失、天保13年(1842年)小規模に再建された。真の薬師如来はこの座像の胎内にあったとも伝えられている。【如来堂案内板・石岡市教育委員会】如来座像は火災の折、集落の人々によって運び出され、火災から逃れたという。


修復が完了した菖蒲沢薬師如来      2010/12/08
修理前の薬師様 2006/6/27
直された薬師堂      2010/12/08
修理前の薬師堂
仁王像 2006/6/27
仁王像 2006/6/27
古刹 菖蒲沢薬師堂      2010/12/08
東光寺の礎石          2010/12/08
獅子の灯篭              2010/12/08
    
信仰供養塔         2010/12/08
仁王門跡               2010/12/08
堂宇 2006/6/27
案内板 2010/12/08
前からの案内板              2010/12/08
境内 2006/6/27
 
弁天池  2006/6/27










2010年12月10日金曜日

薬師古道から菖蒲沢薬師堂へのみち 石岡市菖蒲沢

大自然の中の薬師古道 石岡市菖蒲沢

 朝日トンネルからすぐ近く、菖蒲沢集落の中ほどに古道、薬師堂がある。
菖蒲沢集落の細い道を少し登ると菖蒲沢公民館がある。その前が古道、薬師堂の入口になっている。薬師堂までは凡そ600mの道のり。最近、薬師古道は間伐整備されて散策がしやすくなった。
 大自然の山には涅槃寂静(悟り)を得んとするため自我をすてて行を積むため、そして仏教を広めるために寺が建立された。古道の入口から少し進むと馬を祀った馬櫪神があり、その先には石に刻まれた屋敷神がある。されにその先には遠い時代を感じる石祠の不動尊があり、稲荷社を過ぎると薬師堂へ近づく。


馬櫪神 菖蒲沢古道 2010/12/08
薬師古道 石岡市菖蒲沢 2010/12/08
屋敷神 菖蒲沢古道        2010/12/08
遠い時代を感じる石祠の不動尊       2010/12/08     
菖蒲沢薬師古道              2010/12/08
稲荷神社                 2010/12/08
広葉樹林の落ち葉を踏んで         2010/12/08
   
薬師古道分岐点           2010/12/08
薬師古道 薬師堂に近づく       2010/12/08
菖蒲沢薬師古道 1   2010/12/08     
菖蒲沢薬師古道 2       2010/12/08
手入れ前の菖蒲沢薬師古道  2006/6/27 


 

菖蒲沢薬師堂と薬師古道へ 石岡市菖蒲沢

◆筑波山の自然に囲まれた里 菖蒲沢 
オーラの森に囲まれて。日本の里八郷(やさと)
筑波山の周りには然して高い山はないが名も知られない小高い山々や峠がおおくあります
筑波山は神代の時代から崇められ、付近には平安時代からの寺も多く存在する。菖蒲沢は茨城県フラワーパークから約3キロの地点にあり、現在土浦市小野~石岡市朝日間、掘削進行中の朝日トンネルから(現在朝日峠)すぐ近くには石岡市辻交差点があって周辺にはイチゴ団地がある。そこから菖蒲沢は至近距離で、森に囲まれ霞ヶ浦源流の小川(小桜川)もあって自然環境が豊かな場所です。菖蒲沢からは小野越、仏生寺、中山等の集落があります。仏生寺からは筑波山不動峠を渡り、平沢官衙、北条方面への林道があります。菖蒲沢から平沢官衙まで凡そ8kmぐらいでしょうか。古は常陸国府から平沢官衙へのみちであったようです。


この写真は石岡市柴内から菖蒲沢方面を撮影しました。
場所は真家さんという蕎麦やの庭からです。
余談ですが月山の秋そばは美味しかった。
薬師古道入口付近から菖蒲沢 1 2010/12/08
薬師古道入口付近から菖蒲沢2  2010/12/08
薬師古道登り口付近から菖蒲沢方面 1
薬師古道登り口付近から菖蒲沢方面 2
徳一法師御小屋跡      2010/12/08
馬櫪神              2010/12/08
石神  2010/12/08
菖蒲沢公民館前、薬師古道入口。薬師堂まで600m          

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2010年11月23日火曜日

八郷の自然 下青柳~上青柳

下青柳~上青柳付近はフラワーパークの後側の方角になっています。大通りと異なったところに位置するため、
人や車の通りが少なく美しい自然に恵まれています。筑波山の景観も八郷側からみてこのように見えます。
私も時々ですが、ここの空気を吸わせていただいてます。空気が体内の隅々までいきわたる様な気がします。
とっておきの散歩道です。

筑波山と里山 2010/01/23
八郷の自然
 八郷の自然と里
 八郷の自然 1
 清んだ空気の空間
 澄んだ酸素の里
 筑波山の尾根と里の風景
八郷の自然は本当に美しい。
八郷の自然 2
八郷の自然 3
八郷の自然 4
八郷の自然 5
八郷の自然 6
八郷の自然 7

2010年10月23日土曜日

佐久良東雄旧宅(国指定文化財 史跡)


佐久良東雄旧宅(国指定文化財 史跡 

指定年月日- 昭和19年3月7日
所在地- 茨城県石岡市浦須314-1建てられた時期 -江戸時代後期と推定される。
佐久良東雄と旧宅(八郷の茅葺民家)
桜を愛でた佐久良東雄。土浦の豪商、色川三中とともに鹿島神宮に桜の苗木千本を植え寄付した。自身も佐久良と名乗った。心の影響を受けた本居宣長(もとおりのりなが)も桜を愛しを歌った歌集「枕の山」には桜の花300首の和歌 がある。また、佐久良の親友、笠間の儒学者加藤櫻老は桜川の歴史古き山桜の名所、磯部稲村神社の桜の復興に力を注いだ。ここは水戸黄門のお気に入りの場所でもあった。ここの桜は黄門によって、水戸の桜川や江戸各地に植えられた。同じく桜川(真壁)の親友、櫻任蔵も櫻と名乗っていたのは偶然のことだったのであろか。波難常言 花者雖多 花細 散久良能花似 及波難者不有(はなという はなはおおけど はなぐはし さくらのはなに しくはなはあらず)東雄
勤王歌人佐久良東雄の生家。佐久良東雄は文化八年三月二十一日筑波山の眺めの良いこの地、林村浦須で父飯島平蔵の子として生まれた。幼名は吉兵衛、十五歳の時、同じ林村にある真言宗観音寺に入り康哉法師に師事し仏弟子となり、名を良哉、字を高俊と改めた。ここで康哉に師事し万葉歌他を習得した。康哉は雨引山楽法寺第二十世僧恵岳などの学統をうけて万葉の研究に従事したので「万葉法師」の別名があった。良哉入山の文政八年師の康哉は真鍋村(現土浦市)の善應寺に第十七世住職として就いた。文政十二年師、康哉は再び観音寺に戻った。良哉(東雄)は仏道修行のため大和の真言宗宝山寺派本山長谷寺で修業となった。天保三年春師は病に伏し三月八日遷化した。良哉はその前に奈良から呼ばれた。師の最後の看取りの少し前、師は良哉に墨をとらせ辞世の歌を残した。師は良哉に蔵書すべてを贈った。良哉はその後観音寺の僧や真鍋の善應寺の僧を経て住職についた。色川三中、長島二左衛は親友であり、藤森弘庵、藤田東湖、櫻任蔵、加藤櫻老、島男也は交友であった。その後、天保十四年五月善應寺僧を辞し東国をあとにし江戸、矢ノ倉に住し国学の研究を進める。この頃水戸藩奥医師鈴木玄兆の娘輝子と婚姻す。弘化二年九月、佐久良東雄三十五歳で京都から泉州へ、その間数年を経、大阪北久宝寺に住し座摩神の祝部となった。後、安政元年末(四十四歳)佐久良は京都に出、妙法院ノ宮に奉仕し中奥席格になり静と名を改める。安政五年三月神祗伯白川資則の門に入り神祗道學師の称号を授けられた。
萬延元年三月三日桜田門の変で其の徒高橋多一郎親子を匿り、佐久良は幕史に知られるとなり三月二十一日東町奉行所に引致された。そして、四月二十四日大阪を発ち江戸伝馬町に送られたが病んで獄中に死す。一説に食を絶ち死すと。
【参考文献】佐久良 東雄、望月茂著 大日本雄弁会講談社 s17。贈従四位佐久良東雄大人略伝、編纂兼発行 吉田弥平 s12、佐久良東雄歌集 櫻華社s18、佐久良東雄 八郷町教育委員会s57、サイト「霞ヶ浦の自然」。 
高光る 日の皇子わが大君の しろしめす 天のしたに
高山は 多にあれども 神祖の 神のみことの
尊くも しづまりいます この山は 大汝少彦那の
二神の つくらせりけむ わが国の 筑波の山は
宜なべ いよよ昇れば 山並の よろしき山
山つぎの よろしき山ぞ 筑波の山の 朝に氣に
常に見れども 二並の筑波の山は 見がほし山
うべしこそ 見がほし山と古ゆ 人のいひつぐ筑波の山は
【参考文献】佐久良 東雄、望月茂著 大日本雄弁会講談社 s17
1 神祖・かむろぎ
2 大汝少彦那・おおなむちすくなひこな
3 宜なべ・うべなべ
(原書、ふりがな)

佐久良東雄生家

佐久良東雄生家の門

佐久良東雄生家

佐久良東雄生家

佐久良東雄生家

佐久良東雄生家

佐久良東雄生家

佐久良東雄生家 案内板

佐久良東雄生家 蔵
建具



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